2005年のオランピア劇場公演

2005年11月26日・27日のパリ・オランピア劇場のコンサートに行ってきました。

 

1977年以来のパリ。フランス語、英語をまともにしゃべれない僕にとっては、一人旅は不安があるものの、何とか簡単なフランス語なら読めることと、わずかに知っているフランス語と英語だけを頼りに、今回もひとりで行ってきました。

 

1977年当時とは違い、ツアーではなく完全に個人旅行。事前にインターネットで航空券、ホールの席やホテルの予約もでき、準備は早くから整った。

 

実は、今回のパリ行きを反対していた妻や勤務先にも内緒で手配し、行けなくなったらどうしようという不安だらけの毎日でした。でも、出発直前に両者に拝み倒し、なんとか行けることに。

 

25日に日本を出発、約12時間のフライト。夕刻到着したシャルル・ド・ゴール空港からは、ロワシーバスでオペラ座前まで直行。切符の買い方がわからなかったものの、前の人の様子を見て、ひとまずクリア。

 

ホテルは、オランピア劇場へ歩いていける距離のオペラ座近くの小さなホテル。チェックインは英語のみでOK。毎日のフロントとのやり取りも、発音の悪いフランス語より、英語のほうが通じた。(フランス語をしっかり勉強しなきゃと反省するも、語学力のなさはいかんともしがたい。)

 

26日のチケットは予約していなかったため、当日券をホールの窓口で購入。簡単な英語だけで購入できた。ゲートを通過し、まずパンフとポスターを購入。

 

ホールへ入ったものの一番困ったのは、席番号が椅子に記載してない。はじっこだったため、何とかわかったものの、明日の席はどこだろうと一瞬不安に。会場内の様子を見ていると、席を案内する人がいて、案内を頼んだ人は、チップ渡している。これがパリのホールのやり方なのかと思った。

 

日本のホールは、会場入り口には席案内板が掲げてあり、椅子には席番号が表示されており、場合によっては、チケットホルダーに席の場所が記載されている場合もある。日本とはかなり違うなと感じた。

 

いよいよ開演時間が近づく。客が登場を促す。演奏が始まり、真っ赤な緞帳が左右に開き、ミレイユ・マチューが登場する。オープニングは、「愛の信条」。黒いドレスの彼女の歌声が聴こえてくると、目に熱いものが。同じみの曲や新アルバムからも数曲。後半終わり近くには、各国からのファンに対し、英語・日本語・中国語・イタリア語・ドイツ語など、各国の歌をピアノ伴奏で披露。

この日は、ライブDVD発売のための収録が行われていた。

 

27日は今回のコンサートの最終日。開始時間もマチネーの時間。前日よりもかなり前のほうのメゾネット席。やはり、このあたりだろうと思っていったところが席がわからない。ホールの女の子に頼んで、案内してもらう。チップの小銭を渡し、メルシー。

 

思ったより席が狭い。前日も感じてはいたのだが、足元が広かったのでそう思わなかったが、ここは足元も狭い。曲がらない左足が入るか心配で、恐る恐る腰を下ろす。何とか左足を突っ張る格好で席に座れた。

 

コンサートが始まり、前日とほぼ同じ構成。この日は終わり近くに、ミレイユの母親マルセルさんもステージに。コンサートも終わり近くになると、会場の熱気も高まっていくが、もう終わってしますのか、もっと聴いていたいという思いも強くなっていく。

幕が下り、会場が明るくなり、周囲の人からせかされるように会場を出る。

 

会場を出ると、右手の方向の楽屋口を目指した。そこにはすでに多くのファンが押し寄せていた。いろんな言葉が聞こえてくる。英語・フランス語・ドイツ語など。体の大きな人たちの中に、押し出されないように団子状態の集団の中に留まっていた。待つこと2時間、ついにミレイユ・マチューと対面。自分が日本でやっていることをカタコト英語でしゃべり、何とか聞き取ろうとしてくれた。通じたらしく、HPの担当を呼んでくれようとしたが、見つからず、サイトは英語かフランス語はないのかとか、聞かれ、日本語しかなくてすみませんと謝る。パンフにサインしてもらい、KRさんの分も。そしてツーショット写真も。

 

感激のまま、雪がちらつく通りをホテルへ。

 

今回、3泊5日のあわただしい日程で、観光らしきものも歩いていける範囲に留め、ルーブルとオルセーに行き、シャンゼリゼのフナックで、CDを買いあさったくらい。あとは、カフェやテイクアオウトの店で簡単な昼食とモノプリなどで食品とワインを買ってホテルの部屋で簡単な食事くらいだったね。

 

でも、今回行って良かった。オランピアのコンサートの雰囲気がいい。観客のノリもいい。日本のコンサートでは味わえない雰囲気は、また行きたいという感情を抑えられない。できれば、日本でのコンサートも実現して欲しいですね。